辰巳囃子の歴史と由来– 伝統を未来へつなぐ、辰巳囃子保存会の歩み –

このページでは、私たちの活動のルーツや、お囃子に込められた意味、そして地域とともに歩む想いをご紹介します。

祇園囃子から全国へ広がった音の文化

祭礼が華やかに催されるようになったのは平安時代中期のこと。当時は、田楽の踊り囃子が主流で、山車などはなく、演奏者たちは徒歩で音を奏でていました。

その後、室町時代に入ると山車や鉾、屋台の上で演奏する形式が広がり、京都・祇園祭では「山鉾」で奏でる形へと変化。

これが「祇園囃子」の起源といわれています。

この祇園囃子は、時代とともに全国へ広がり、大阪では「だんじり祭」、関東では山王祭(⽇枝神社)や神⽥祭(神⽥明神)で奏でられる「江戸囃子」が生まれました。

八幡はやしの継承 ― 辰巳囃子保存会の誕生

千葉県市原市にある飯香岡八幡宮の別宮・辰巳台神社に伝わるお囃子は、江戸囃子の源流である「葛西囃子」の流れを汲む「八幡はやし」を継承しています。

この八幡はやしを守り伝える一の宮・濱本町八幡はやし保存会を師と仰ぎ、2008年10月、辰巳囃子保存会は発足しました。

地域の歴史と誇りを胸に、次世代へとつなげるため、日々の練習と祭礼への奉納を続けています。

神楽としてのお囃子 ― 音に込められた祈り

お囃子は、神社の神楽殿や集落の作り舞台、祭りの行列の中で奏でられる伝統芸能です。

時には徒歩で、時には山車や屋台の上で演奏され、神様を迎える神事のひとつとして受け継がれてきました。

日本神話では、太陽神・天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩屋に隠れ、世が暗闇に包まれた際、神々が岩戸の外で宴を開き、賑やかに舞い踊って音を奏でることで、天照大神を誘い出そうとしたという逸話が残されています。

この時の舞や音楽が「神楽(かぐら)」の起源とされており、お囃子もその一種と考えられています。

祭りの場では「披露」ではなく「奉納」と表現されるのは、神様への祈りと感謝の気持ちを込めて奏でるからです。

活動の目的

辰巳囃子保存会は、1350年の歴史を誇る飯香岡八幡宮の一の宮(濱本町八幡はやし保存会)に伝わる「八幡はやし」を地域の郷土芸能として継承し、次の世代へとつなげていくことを目的としています。

お囃子の活動を通じて、地域住民の交流を深め、世代を超えたつながりが生まれる場としても役立てていく考えです。

おわりに

私たち辰巳囃子保存会は、音の力で地域を元気にし、神様と人とをつなぐ架け橋となることを願って活動しています。

これからも郷土の伝統を大切にしながら、未来へとその音色を響かせていきます。